先日、知人からある動画を見せてもらいました。なんでも、大変人気のある動画で職場でも人気があるということでした。その動画は、動物たちの実写の動きに人の音声で会話をかぶせてある、よくあるパターンの動画でした。音声の内容がいろんな地域の方言を使われているということで、面白みがあって楽しめるといったことのようです。
その動画配信については個人の楽しみになるかどうかは価値観の違いがありますから、楽しいという方は趣味のひとつとされるでしょうし、関心がないとか不快だと思われる方は生活から遠ざけるということなのでしょう。
時代の流れの中でも、子供のころにテレビでみた名犬ラッシーやフランダースの犬、あらいぐまラスカル、ムーミンの中でてくる動物たちもそれぞれにある程度擬人化されたキャラクターでした。中には動物が人の言葉を話して会話するというファンタジーの世界のひとつとして、子供の世界を広げてくれて空想の中で遊ぶということを豊かにしてくれたもののひとつではありました。
動物をキャラクターとして表現することについては、製作の側にそれなりの目的をもって作られたもので人の成長や生活にとって確かに豊かさをもたらしてくれるものであれば価値を感じられます。アニメのキャラクターや、ぬいぐるみを来たご当地キャラが商業を高めるために貢献していることは間違いのない事実ですし、アニメといった2次元の空間やぬいぐるみという存在の中での動物のキャラクター化は人の楽しみ方のひとつとしてより良く活用していただきたいです。ただ、少し見方を変えればこれらも全て動物を擬人的に表現したものであるひとつの人の楽しみ方だと思います。
これとは別に動物を直接的に擬人化人して扱うという世界があります。この場合は、実際の動物の写真や画像に人の言葉を置き換えるように使われています。ネットが普及する前にもテレビ番組でこれらの手法はよく用いられ始めました。歴史的に見れば少しずつエスカレートしていますので、人の動物を使った楽しみ方が変化してきた人のつくった文化のひとつなのでしょう。たとえば、ソフトバンクホークスのお父さん犬のような扱いがキャラクターとして受け入れられるようになったのは時代の変化ではないでしょうか。50年前であればこうした扱いについては拒否反応が出ていたようなものが、この時代には「変わっている」「何かよくわからいないけど面白い」「ただかわいい」といった評価に代わり動物を面白おかしく取り扱う一定のルールはかなり不明確になってきています。
本当に怖いのはこれらの動物、特に身近な動物である犬に対する擬人化が実生活の中でも起きてしまうということです。家庭の中に生活する家庭犬や、知人が飼っている犬、街中ですれ違う犬に対して、テレビで扱われているような擬人的なキャラクターを当てはめようとする傾向が始まっています。犬の動画に音声やコメントがつけられていないような動画に説明が加えられたようなものの多くは、犬の行動を擬人的に見て説明をされています。その説明には「ではないか?」という疑問が付けられることもなく決定付けられています。赤ちゃんを助けようとした犬の動画とか、お風呂に入る前にお風呂の上で泳いでいる犬の動画などなど、きりがありません。
動画を配信した方に悪意はなく、ただ犬という動物を擬人化する見方しかできず、そこに愛情があるということを感じられることは確かです。そしてこれらの犬を擬人化した愛情にあふれる動画が、かわいい、犬が愛されているから幸せという風に笑顔で見ている方々もたくさんいることでしょう。その見方で、本当に犬は幸せになれるのでしょうか。幸せになっているのは、そうやって笑顔で見ている人側だけではないでしょうか。そこに、人が幸せだから人を幸せにしてくれる犬も幸せだという思い込みが存在していると思います。
動物の幸せがどこにあるのかというのはどこまでも議論する必要があります。まだ途中段階ではあると思います。ただどの時点でもずっと続いてきたことは、この犬という動物が本当に必要としていることは何かを考えるということです。その犬の必要性の中で、これは絶対だと思えるものがひとつあります。それはその犬にもっとも関わることになる飼い主という存在の犬に対する理解です。犬は人とは異なる種です。だから簡単に理解することはできません。一旦わかったと思ってもいや待てよ別の見方もできるかもしれないと何ども観察したり考えたりすることを積み重ねながら、少しずつその身近な犬について、犬という動物として、その犬という個体として理解を深めていくしかありません。動画ですれ違うだけの犬であっても「本当にそうなの?もっと別の見方もあるんじゃないかな。」とその犬について考えたり思ったりすることが、身近な犬への理解にもつながってきます。
冒頭に述べた動物の動画配信の音声は悪ふざけのコメントのようなものばかりでした。その動画を見て不快感を覚えてしまうほどです。ファンタジーは境界線を越えるとどこかで実生活に影響を及ぼします。目の前に生命のある生き物がいます。犬、猫、鳥、野生動物、虫たちなど、ファンタジーを繰り広げなくてもわたしたちをワクワクさせてくれる存在がたくさんいます。これらの命ある生き物と同じ空間で生きていることをお互いを知るという行為を通して楽しめる方が増えることを願っています。